許された子どもたちを観てまだ考える

人を殺すという罪を犯した少年と
その子の行動に違和感を感じることがあっても
「うちの子はそんな事していません!」を貫く母親

その関係性に
私は共依存性を感じました



仮説

もしも
周囲の者達が一貫して
悪いことは悪いと姿勢をみせたならば
彼を矯正できただろうか

その環境を一生保てるならば
可能ではないか?

結論

習慣化からいつかは矯正されるかもしれない
しかし
実際にそのような環境を
一人の一生を通して保つことは難しい



罪を犯さないことを是とする層

中間層

犯罪を犯す層


中間層は比重によりどちらかに染まる

罪を犯さない下層と犯罪を犯す上層は
中間層に引っ張られ揺れている



以前にも書きましたが
殺人を犯した方に
その事件の何年か前にもっと軽微な事の段階で
悪いことは悪いと伝えたことが
あります

彼女には仲の良い共依存関係の友達がいて
悪いことを悪いと言わず無責任に賛同

染まらなかった私を逆恨みして
関係を絶ちました



動物を虐待する人がエスカレートして
殺人を犯す

動物の虐待の時点で止めていれば
まだ殺人を犯さなかったかもしれない



彼女がニュースに出たときに
取材に友達も出てきて庇うかなと思いましたが
一切出てきませんでした

関係ないわ 友達じゃないもの
と逃げたのでしょうか


無責任に悪いことに便乗して止めてこなかったのに後になって庇い通さずに放り出すのかと
愕然としました



過ぎたことですが

私と彼女の友達
共通一貫して悪いことは悪いと止めたなら
彼女が殺人に至るのを
少しは防げたのではと悔やみます



間違っていても
数を頼めば変えられる世の中に
なってしまったのは悲しいことです


友達は数の多さではありません

悪いときには悪いと互いに制止できる関係性を
私は望みます

多くの人が言うからと流れるのではなく
自分の頭で考えることを忘れずにいたいです

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